さる雨の日のつれ/″\に表を通る山高帽子の三十男、あれなりと捉(と)らずんば此降りに客の足とまるまじとお力かけ出して袂にすがり、何うでも遣りませぬと駄々をこねれば、容貌よき身の一徳、例になき子細らしきお客を呼入れて二階の六疊に三味線なしのしめやかなる物語、年を問はれて名を問はれて其次は親もとの調べ、士族かといへば夫れは言はれませぬといふ、平民かと問へば何うござんしようかと答ふ、そんなら華族と笑ひながら聞くに、まあ左樣おもふて居て下され、お華族の姫樣(ひいさま)が手づからのお酌、かたじけなくお受けなされとて波々とつぐに、さりとは無作法な置つぎといふが有る物か、夫れは小笠原か、何流ぞといふに、お力流とて菊の井一家の左法、疊に酒のまする流氣もあれば、大平の蓋であほらする流氣もあり、いやなお人にはお酌をせぬといふが大詰めの極りでござんすとて臆したるさまもなきに、客はいよ/\面白がりて履歴をはなして聞かせよ定めて凄ましい物語があるに相違なし、たゞの娘あがりとは思はれぬ何うだとあるに、御覽なさりませ未だ鬢の間に角も生へませず、其やうに甲羅は經ませぬとてころ/\と笑ふを、左樣ぬけてはいけぬ、眞實の處を話して聞かせよ、素性が言へずば目的でもいへとて責める、むづかしうござんすね、いふたら貴君(あなた)びつくりなさりましよ天下を望む大伴(おほとも)の黒主(くろぬし)とは私が事とていよ/\笑ふに、これは何うもならぬ其やうに茶利(ちやり)ばかり言はで少し眞實(しん)の處を聞かしてくれ、いかに朝夕を嘘の中に送るからとてちつとは誠も交る筈、良人はあつたか、それとも親故かと眞に成つて聞かれるにお力かなしく成りて私だとて人間でござんすほどに少しは心にしみる事もありまする、親は早くになくなつて今は眞實(ほん)の手と足ばかり、此樣(こん)な者なれど女房に持たうといふて下さるも無いではなけれど未だ良人をば持ませぬ、何うで下品に育ちました身なれば此樣な事して終るのでござんしよと投出したやうな詞に無量の感が溢れてあだなる姿の浮氣らしきに似ず一節さむろう樣子のみゆるに、何も下品に育つたからとて良人の持てぬ事はあるまい、殊にお前のやうな別品さむではあり、一足とびに玉の輿にも乘れさうなもの、夫れとも其やうな奧樣あつかひ虫が好かで矢張傳法肌の三尺帶が氣に入るかなと問へば、どうで其處らが落でござりましよ、此方で思ふやうなは先樣が嫌なり、來いといつて下さるお人の氣に入るもなし、浮氣のやうに思召ましようが其日送りでござんすといふ、いや左樣は言はさぬ相手のない事はあるまい、今店先で誰れやらがよろしく言ふたと他の女が言傳たでは無いか、いづれ面白い事があらう何とだといふに、あゝ貴君もいたり穿索(せんさく)なさります、馴染はざら一面、手紙のやりとりは反古の取かへツこ、書けと仰しやれば起證でも誓紙でもお好み次第さし上ませう、女夫(めをと)やくそくなどと言つても此方(こち)で破るよりは先方樣の性根なし、主人もちなら主人が怕(こは)く親もちなら親の言ひなり、振向ひて見てくれねば此方も追ひかけて袖を捉らへるに及ばず、夫なら廢せとて夫れ限りに成りまする、相手はいくらもあれども一生を頼む人が無いのでござんすとて寄る邊なげなる風情、もう此樣な話しは廢しにして陽氣にお遊びなさりまし、私は何も沈んだ事は大嫌ひ、さわいでさわいで騷ぎぬかうと思ひますとて手を扣(たゝ)いて朋輩を呼べば力ちやん大分おしめやかだねと三十女の厚化粧が來るに、おい此娘の可愛い人は何といふ名だと突然(だしぬけ)に問はれて、はあ私はまだお名前を承りませんでしたといふ、嘘をいふと盆が來るに焔魔樣(ゑんまさま)へお參りが出來まいぞと笑へば、夫れだとつて貴君今日お目にかゝつたばかりでは御坐りませんか、今改めて伺ひに出やうとして居ましたといふ、夫れは何の事だ、貴君のお名をさと揚げられて、馬鹿/\お力が怒るぞと大景氣、無駄ばなしの取りやりに調子づいて旦那のお商賣を當て見ませうかとお高がいふ、何分願ひますと手のひらを差出せば、いゑ夫には及びませぬ人相で見まするとて如何にも落つきたる顏つき、よせ/\じつと眺められて棚おろしでも始まつては溜らぬ、斯う見えても僕は官員だといふ、嘘を仰しやれ日曜のほかに遊んであるく官員樣があります物か、力ちやんまあ何でいらつしやらうといふ、化物ではいらつしやらないよと鼻の先で言つて分つた人に御褒賞(はうび)だと懷中から紙入れを出せば、お力笑ひながら高ちやん失禮をいつてはならない此お方は御大身の御華族樣おしのびあるきの御遊興さ、何の商賣などがおありなさらう、そんなのでは無いと言ひながら蒲團の上に乘せて置きし紙入れを取あげて、お相方(あひかた)の高尾にこれをばお預けなされまし、みなの者に祝義でも遣はしませうとて答へも聞かずずん/\と引出すを、客は柱に寄かゝつて眺めながら小言もいはず、諸事おまかせ申すと寛大の人なり。

 お高はあきれて力ちやん大底におしよといへども、何宜いのさ、これはお前にこれは姉さんに、大きいので帳場の拂ひを取つて殘りは一同(みんな)にやつても宜いと仰しやる、お禮を申て頂いてお出でと蒔散らせば、これを此娘の十八番に馴れたる事とて左のみは遠慮もいふては居ず、旦那よろしいのでございますかと駄目を押して、有(あり)がたうございますと掻きさらつて行くうしろ姿、十九にしては更けてるねと旦那どの笑ひ出すに、人の惡るい事を仰しやるとてお力は起つて障子を明け、手摺りに寄つて頭痛をたゝくに、お前はどうする金は欲しくないかと問はれて、私は別にほしい物がござんした、此品(これ)さへ頂けば何よりと帶の間から客の名刺をとり出して頂くまねをすれば、何時の間に引出した、お取かへには寫眞をくれとねだる、此次の土曜日に來て下されば御一處にうつしませうとて歸りかゝる客を左のみは止めもせず、うしろに廻りて羽織を着せながら、今日は失禮を致しました、亦のお出を待ますといふ、おい程の宜い事をいふまいぞ、空誓文(からせいもん)は御免だと笑ひながらさつ/\と立つて階段(はしご)を下りるに、お力帽子を手にして後から追ひすがり、嘘か誠か九十九夜の辛棒をなさりませ、菊の井のお力は鑄型に入つた女でござんせぬ、又形(なり)のかはる事もありまするといふ、旦那お歸りと聞て朋輩の女、帳場の女主(あるじ)もかけ出して唯今は有がたうと同音の御禮、頼んで置いた車が來しとて此處からして乘り出せば、家中表へ送り出してお出を待まするの愛想、御祝義の餘光(ひかり)としられて、後には力ちやん大明神樣これにも有がたうの御禮山々。